安倍首相の靖国神社参拝に対し、中韓の反応はお約束通り。
一般の人々にやや予想外だったと思われるのは、
アメリカ国務省が「失望」とのコメントを発表したこと。
EUの報道官も「地域の緊張緩和に資するものではない」と、
ネガティブな反応を見せた。
これらのことがメディアで大々的に報じられたので、
よく事情を知らない人には、何か首相の靖国神社参拝自体が、
無思慮な悪いことであるかのような印象を与えたかも知れない。
しかし、一国の国政のトップリーダーが自国の戦没者を追悼する
「聖地」に赴き、感謝と尊敬の念を表すことは、どの国にとっても、
至極当然の義務であり権利だ。
他国から干渉を受けるような事柄ではない。
現に、昭和53年にいわゆる「A級戦犯」が合祀された後も、
歴代首相の参拝が「外交問題」になることは、一切なかった。
ところが、中国が主に国内の事情から、
昭和60年になって抗議を始めた。
この時、毅然と中国の主張に反駁し、堂々と参拝を続けていたら、
もちろん一時的には日中間に軋轢が生じただろう。
だが、中長期的に見た場合、その後の展開は全く違ったはずだ。
しかし残念ながら、
当時の中曽根首相は目の前の対中関係を取り繕うことのみを考え、
参拝を中断して禍根を後世に遺した。
この中断後、靖国神社参拝を復活させた小泉首相に対しては、
中韓両国からより強烈な非難が浴びせかけられた。
中断によって事態は一段と悪化したのだ。
それでも、アメリカがこれに嘴を挟むようなことはなかった。
ところが、安倍首相が参拝を再び中断させたことで、
局面は一層、厳しさを増した。
中断が続くことで、内外にあたかも参拝を行わないことが
「常態」であるかのような、倒錯した感覚を与えてしまったのだ。
或いは政治的な駆け引きで、
いかようにも譲歩出来る案件の1つと見られた。
中断が長引けば長引くほど、そうした錯覚は根深いものになる。
今回の安倍首相の参拝へのアメリカなどのよそよそしい反応は、
無論、中国の台頭とアメリカの威信低下という、
国際政治力学的な事情なども背景にあるものの、
安倍氏の参拝中断によってたらされた結果、
という側面を無視出来ない。
従って、戦没者への敬虔な追悼が、
今を生きる日本人の尊厳なる責務である以上、
安倍首相はもはや一歩も退くことは許されない。
これで更に中断を重ねるようなことがあれば、
次の参拝再開を探る際、アメリカはもっと冷淡になり、
今はマイナスの対応を見せていない国々も反対に回りかねない。
国内の受け止め方も、遺憾ながら現在でさえ不参拝を
自明視しかねないムードがある。
それが更に悪化するのは明らかだ。
戦没者なんて忘れてしまえばいい。
首相は金輪際、靖国神社に参拝する必要はない、
というなら話は別だ
(そうなれば当然、天皇陛下のご親拝も永遠に遠のく)。
そうでなければ、首相の靖国神社参拝はこれ以上、
決して中断させてはならない。